日本のバイクの発展は戦後から

今や日本を代表する製品となっているバイクですが、国内に初めてオートバイが伝えられたのは1896年(明治29年)のことでした。

世界で初めて自動二輪車の原型が作られたとされているのが1863年のフランスことなので、それから30年あまりの時を経て日本に入ってきたということになります。

もっとも世界初の自動二輪は蒸気機関車に使用されていた動力を二輪車につけたものであり、現在のバイクとはかなり見た目も機能も異なるものでした。

それが1883年に初めてガソリンを動力とする二輪車の開発に成功し、それから現在バイクとして使用されているものにかなり近い乗り物が開発されていくことになります。

明治の時期に入ってきた自動二輪車ですが、当時は乗り物としてはそれほど世間的に注目を集めるものではなく、工業製品というよりは趣味の一つとして輸入した部品をほそぼそと組み立てるという方法で開発されてきました。

戦時中には宮田製作所が「朝日号AA型」という国内で初めての量産型バイクを製造しますが、当時は飛行機など他の軍需産業で国内の工場はフル稼働しており、バイクの生産にそれほど力を入れられるこということはありませんでした。

日本においてオートバイの生産が本格化したのは戦後になってからで、宮田製作所の他に富士産業(富士重工)やみづほ自動車、中日本重工業(三菱重工)といった現在ではほとんど名前を聞くことがなくなったバイクメーカーが次々と製品を販売するようになりました。

そんな中で登場してきたのがホンダのA型自転車用補助エンジンでした。

本田技研のバイクの歴史

現在もホンダといえば国内でもトップシェアを誇るバイクメーカーであり、世界的にもバイクに乗っている人なら知らない人はまずいないというほどの知名度になっています。

そんなホンダのバイク製造が本格的にスタートしたのはちょうど戦後間もない時期である1946年(昭和21年)からのことでした。

ホンダの創始者である本田宗一郎は陸軍で使用していた無線用小型エンジンを二輪の自転車につけることでオートバイの原型を開発したのでした。

このときホンダのもととなる会社である本田技術研究所が静岡県浜松市にあったことから、日本におけるバイクはじまりの町として今も浜松にはいくつかの記念館があります。

1947年になると従来からあったエンジンの流れを一旦切り、A型自転車用補助エンジンを開発・成功させます。

実際に販売するためにはそこから長い研究期間が必要でしたが、1949年(昭和24年)には初の本格オートバイである「ドリーム号」を完成させるにいたります。

ホンダカブの登場と後発メーカーの登場

その後ホンダはバイク製造と販売を軌道に乗せるため、本社を浜松市から東京に移し新たに「カブF型」という原動機付自転車を開発します。

このカブF型は従来品に比べてかなり取り扱いがしやすく、女性でも簡単に乗れることから一躍ヒット商品になりました。

このカブF型の大ヒットにより国内の他の工業メーカーも追随するようにバイクの製造を始めるようになりました。

これがだいたい1950年台頃のことで、スズキやヤマハなど現在も有名なバイクメーカーが次々と独自の規格による動力二輪を開発し製造をしていったのです。

 

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